吾輩は猫である(小説サンプル)

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我儘わがままもこのくらいなら我慢するが吾輩は人間の不徳についてこれよりも数倍悲しむべき報道を耳にした事がある。
吾輩の家の裏に十坪ばかりの茶園ちゃえんがある。広くはないが瀟洒さっぱりとした心持ち好く日のあたる所だ。うちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない時や、あまり退屈で腹加減のよくない折などは、吾輩はいつでもここへ出て浩然こうぜんの気を養うのが例である。ある小春の穏かな日の二時頃であったが、吾輩は昼飯後ちゅうはんご快よく一睡したのち、運動かたがたこの茶園へとを運ばした。茶の木の根を一本一本嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒してその上に大きな猫が前後不覚に寝ている。彼は吾輩の近づくのも一向いっこう心付かざるごとく、また心付くも無頓着なるごとく、大きないびきをして長々と体をよこたえて眠っている。ひとの庭内に忍び入りたるものがかくまで平気にねむられるものかと、吾輩はひそかにその大胆なる度胸に驚かざるを得なかった。彼は純粋の黒猫である。わずかにを過ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上にげかけて、きらきらする柔毛にこげの間より眼に見えぬ炎でもずるように思われた。彼は猫中の大王とも云うべきほどの偉大なる体格を有している。吾輩の倍はたしかにある。吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇立ちょりつして余念もなくながめていると、静かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧桐ごとうの枝をかろく誘ってばらばらと二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。大王はかっとその真丸まんまるの眼を開いた。今でも記憶している。その眼は人間の珍重する琥珀こはくというものよりもはるかに美しく輝いていた。彼は身動きもしない。双眸そうぼうの奥から射るごとき光を吾輩の矮小わいしょうなるひたいの上にあつめて、御めえは一体何だと云った。大王にしては少々言葉がいやしいと思ったが何しろその声の底に犬をもしぐべき力がこもっているので吾輩は少なからず恐れをいだいた。しかし挨拶あいさつをしないと険呑けんのんだと思ったから「吾輩は猫である。名前はまだない」となるべく平気をよそおって冷然と答えた。しかしこの時吾輩の心臓はたしかに平時よりも烈しく鼓動しておった。彼はおおい軽蔑けいべつせる調子で「何、猫だ? 猫が聞いてあきれらあ。ぜんてえどこに住んでるんだ」随分傍若無人ぼうじゃくぶじんである。「吾輩はここの教師のうちにいるのだ」「どうせそんな事だろうと思った。いやにせてるじゃねえか」と大王だけに気焔きえんを吹きかける。言葉付から察するとどうも良家の猫とも思われない。しかしその膏切あぶらぎって肥満しているところを見ると御馳走を食ってるらしい、豊かに暮しているらしい。吾輩は「そう云う君は一体誰だい」と聞かざるを得なかった。「れあ車屋のくろよ」昂然こうぜんたるものだ。車屋の黒はこの近辺で知らぬ者なき乱暴猫である。しかし車屋だけに強いばかりでちっとも教育がないからあまり誰も交際しない。同盟敬遠主義のまとになっている奴だ。吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々軽侮けいぶの念も生じたのである。吾輩はまず彼がどのくらい無学であるかをためしてみようと思っての問答をして見た。
「一体車屋と教師とはどっちがえらいだろう」
「車屋の方が強いにきまっていらあな。御めえうちの主人を見ねえ、まるで骨と皮ばかりだぜ」
「君も車屋の猫だけに大分だいぶ強そうだ。車屋にいると御馳走ごちそうが食えると見えるね」
なあおれなんざ、どこの国へ行ったって食い物に不自由はしねえつもりだ。御めえなんかも茶畠ちゃばたけばかりぐるぐる廻っていねえで、ちっとおれあとへくっ付いて来て見ねえ。一と月とたたねえうちに見違えるように太れるぜ」
「追ってそう願う事にしよう。しかしうちは教師の方が車屋より大きいのに住んでいるように思われる」
箆棒べらぼうめ、うちなんかいくら大きくたって腹のしになるもんか」
彼はおおい肝癪かんしゃくさわった様子で、寒竹かんちくをそいだような耳をしきりとぴく付かせてあららかに立ち去った。吾輩が車屋の黒と知己ちきになったのはこれからである。
その吾輩は度々たびたび黒と邂逅かいこうする。邂逅するごとに彼は車屋相当の気焔きえんを吐く。先に吾輩が耳にしたという不徳事件も実は黒から聞いたのである。
或る日例のごとく吾輩と黒は暖かい茶畠ちゃばたけの中で寝転ねころびながらいろいろ雑談をしていると、彼はいつもの自慢話じまんばなしをさも新しそうに繰り返したあとで、吾輩に向ってしものごとく質問した。「御めえは今までに鼠を何匹とった事がある」智識は黒よりも余程発達しているつもりだが腕力と勇気とに至っては到底とうてい黒の比較にはならないと覚悟はしていたものの、この問に接したる時は、さすがにきまりがくはなかった。けれども事実は事実でいつわる訳には行かないから、吾輩は「実はとろうとろうと思ってまだらない」と答えた。黒は彼の鼻の先からぴんと突張つっぱっている長いひげをびりびりとふるわせて非常に笑った。元来黒は自慢をするだけにどこか足りないところがあって、彼の気焔きえんを感心したように咽喉のどをころころ鳴らして謹聴していればはなはだぎょしやすい猫である。吾輩は彼と近付になってからすぐにこの呼吸を飲み込んだからこの場合にもなまじいおのれを弁護してますます形勢をわるくするのもである、いっその事彼に自分の手柄話をしゃべらして御茶を濁すにくはないと思案をさだめた。そこでおとなしく「君などは年が年であるから大分だいぶんとったろう」とそそのかして見た。果然彼は墻壁しょうへき欠所けっしょ吶喊とっかんして来た。「たんとでもねえが三四十はとったろう」とは得意気なる彼の答であった。彼はなお語をつづけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたちってえ奴は手に合わねえ。一度いたちに向ってひどい目にった」「へえなるほど」と相槌あいづちを打つ。黒は大きな眼をぱちつかせて云う。「去年の大掃除の時だ。うちの亭主が石灰いしばいの袋を持ってえんの下へい込んだら御めえ大きないたちの野郎が面喰めんくらって飛び出したと思いねえ」「ふん」と感心して見せる。「いたちってけども何鼠の少し大きいぐれえのものだ。こん畜生ちきしょうって気で追っかけてとうとう泥溝どぶの中へ追い込んだと思いねえ」「うまくやったね」と喝采かっさいしてやる。「ところが御めえいざってえ段になると奴め最後さいごをこきゃがった。くせえの臭くねえのってそれからってえものはいたちを見ると胸が悪くならあ」彼はここに至ってあたかも去年の臭気をいまなお感ずるごとく前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻わした。吾輩も少々気の毒な感じがする。ちっと景気を付けてやろうと思って「しかし鼠なら君ににらまれては百年目だろう。君はあまり鼠をるのが名人で鼠ばかり食うものだからそんなに肥って色つやが善いのだろう」黒の御機嫌をとるためのこの質問は不思議にも反対の結果を呈出ていしゅつした。彼は喟然きぜんとして大息たいそくしていう。「かんげえるとつまらねえ。いくら稼いで鼠をとったって――一てえ人間ほどふてえ奴は世の中にいねえぜ。人のとった鼠をみんな取り上げやがって交番へ持って行きゃあがる。交番じゃ誰がったか分らねえからそのたんびに五銭ずつくれるじゃねえか。うちの亭主なんかおれの御蔭でもう壱円五十銭くらいもうけていやがる癖に、ろくなものを食わせた事もありゃしねえ。おい人間てものあていい泥棒だぜ」さすが無学の黒もこのくらいの理窟りくつはわかると見えてすこぶるおこった容子ようすで背中の毛を逆立さかだてている。吾輩は少々気味が悪くなったから善い加減にその場を胡魔化ごまかしてうちへ帰った。この時から吾輩は決して鼠をとるまいと決心した。しかし黒の子分になって鼠以外の御馳走をあさってあるく事もしなかった。御馳走を食うよりも寝ていた方が気楽でいい。教師のうちにいると猫も教師のような性質になると見える。要心しないと今に胃弱になるかも知れない。
教師といえば吾輩の主人も近頃に至っては到底とうてい水彩画においてのぞみのない事を悟ったものと見えて十二月一日の日記にこんな事をかきつけた。

○○と云う人に今日の会で始めて出逢であった。あの人は大分だいぶ放蕩ほうとうをした人だと云うがなるほど通人つうじんらしい風采ふうさいをしている。こう云うたちの人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたと云うよりも放蕩をするべく余儀なくせられたと云うのが適当であろう。あの人の妻君は芸者だそうだ、うらやましい事である。元来放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い。また放蕩家をもって自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多い。これらは余儀なくされないのに無理に進んでやるのである。あたかも吾輩の水彩画に於けるがごときもので到底卒業する気づかいはない。しかるにも関せず、自分だけは通人だと思ってすましている。料理屋の酒を飲んだり待合へ這入はいるから通人となり得るという論が立つなら、吾輩も一廉ひとかどの水彩画家になり得る理窟りくつだ。吾輩の水彩画のごときはかかない方がましであると同じように、愚昧ぐまいなる通人よりも山出しの大野暮おおやぼの方がはるかに上等だ。

通人論つうじんろんはちょっと首肯しゅこうしかねる。また芸者の妻君を羨しいなどというところは教師としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩画における批評眼だけはたしかなものだ。主人はかくのごとく自知じちめいあるにも関せずその自惚心うぬぼれしんはなかなか抜けない。中二日なかふつか置いて十二月四日の日記にこんな事を書いている。

昨夜ゆうべは僕が水彩画をかいて到底物にならんと思って、そこらにほうって置いたのを誰かが立派な額にして欄間らんまけてくれた夢を見た。さて額になったところを見ると我ながら急に上手になった。非常に嬉しい。これなら立派なものだとひとりで眺め暮らしていると、夜が明けて眼がめてやはり元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になってしまった。